「鉄」は国の活力源となる基幹産業。工夫すれば環境への貢献も期待できる


中川特殊鋼 代表取締役社長 中川 陽一郎 氏(BPIA会員)

2010年4月7日

聞き手; 中村 仁美 氏 フリーランスライター

第四回は1924年に設立されて以来、特殊鋼材の専門商社として堅調に業績を伸ばしてきた中川特殊鋼です。同社中川陽一郎代表取締役社長は、慶應義塾大学工学部機械工学科卒業後、米スタンフォード大学大学院マテリアルサイエンス科を修了しました。スタン フォード大学はシリコンバレーの人材供給源として重要な役割を担っていることでも有名ですが、中川社長も鉄の新しいニーズを探ったりベンチャーを支援した りと、新しい事業の種を常に模索しています。

■ 特殊鋼は景気にはそれほど左右されない

聞き手: 2009年は貴社創立85周年でしたね。リーマンショック以降、日本は景気低迷に陥っています。鉄鋼業界も厳しいものがあるかと思うのですが、いかがでしょうか。

中川氏: 鉄鋼とはいえ、私たちが扱っているのは特殊鋼です。実は特殊鋼は普通の鉄鋼に比べて市況の影響を受けにくい商材なんです。

聞き手: 特殊鋼とはどんなものですか。簡単に説明していただけますか。

中川氏: 特殊鋼とは鉄に炭素以外の元素、例えばマンガンやクロム、ニッケル、タングステン、チタンなどを 加えた合金鋼のことです。鋼は添加する元素を変えることで硬度や強度、粘性、耐摩耗性、耐熱性、耐食性が変わります。私たちは要求や用途に応じて、それら の特殊鋼を仕入れてお客様であるメーカーに販売しています。

聞き手: メーカーの要求や用途によって特殊な加工を施す材料だから、市況の影響を受けにくいということですか。

中川氏: 私たちの主なお客様は自動車や機械のメーカーです。例えばある車種のクランクシャフト(エンジン を構成する部品の一つ)の材料として採用されると、その車種がモデルチェンジするまで、採用され続けることになります。というのも様々な実験や性能検査を 経て、採用されます。だから「右から左に簡単に材料を変更しよう」ということにはならないのです。もちろん、半年に1回は顧客メーカーと値段交渉の場はあ ります。
リーマンショック以前、特殊鋼は売り手市場だったのです。しかし2008年の秋口より日本の製造業の売上高は大幅に減少しました。私たちの主要顧客であ る自動車業界の場合、自動車の生産台数は瞬間的にピークの7割減まで落ち込みました。そこまで落ちると、私たちもそれなりに影響が出ましたね。

聞き手: 海外にもオフィスを構えるなど、グローバルでビジネスを展開されていますね。日本以外での業績はいかがでしたか。

海外拠点

中川氏: 当社のアジアの関連会社では、中国が経済の落ち込みが少なかったですね。経済成長の途上にある力 ということもありますが、政府の対応が早かったことも落ち込みが少なかった要因だと思います。またタイもそれほど大きく落ち込むことなく回復し、2009 年12月時点でピーク時の8割ほどまでに回復しています。一方、米国は日本同様、かなり経済が傷ついています。回復するまでにはもう少し時間がかかりそう です。

■工具鋼以外は競合も少ない

聞き手: 先ほどリーマンショック前、特殊鋼は売り手市場だったとおっしゃいましたが、競合は少ないのでしょうか。

中川氏: 全日本特殊鋼流通協会という組織があります。その会員企業数は、100社ほどあります。しかしそ の100社のうちの多くはより小ロットなものを求められる工具鋼を扱っている商社です。工具鋼とは金属加工用の刃物、および金型などの材料となる特殊鋼で す。当社は自動車や機械の部品になる特殊鋼を販売しており、JFEグループや特殊鋼の専業の製鋼メーカーである三菱製鋼、愛知製鋼などから直接仕入れてい ます。私たちの競合とは三井物産や住友商事などの大手商社の特殊鋼部門となりますので工具鋼に比べてずっと会社数が少ないと言えます。

聞き手: メーカーから直に自動車メーカーや機械メーカーなどには卸さないんですね。

中川氏: そうです。鉄鋼を一度につくる量は100~300トンです。これはトラック何10台分にも相当す る量です。ではそれだけの量を自動車メーカーが必要かと言うとそうではありません。もっと小ロットでほしい。しかも自動車の場合JIT(ジャストインタイ ム生産方式)を取り入れているため、必要なときに必要な量の材料が手に入ればいい。そこで当社の出番となるわけです。たくさんつくりたい高炉メーカーと、 必要なときに必要な量だけほしい自動車メーカーをつなぐ橋渡し的役割を担うわけです。また、材料の二次加工も商社の機能の一つです。

聞き手: なるほど、そういった役割を担うのが、貴社のような専門商社の役割なんですね。貴社で扱っているその他の事業についても教えていただけますか。

■天王洲アイルの街づくりに参画

アイル全景

中川氏: 都市開発事業もそのひとつです。当社は創業70周年を迎えた94年に、天王洲アイル(東京・品川 区)に天王洲セントラルタワーを完成させています。実はこのビルを建設するにあたり、当社は天王洲地区のマスタープラン作りから参画しました。それが85 年に発足した地権者22社からなる任意団体「天王洲総合開発協議会」 です。天王洲アイルの開発コンセプトは「人間の知性と創造性に働きかける環境づくり」です。街づくりの特徴は、「アートになる島、ハートのある街」という スローガンからも分かるように、街にアートが取り入れられていることです。天王洲銀河劇場はそのスローガンを具現するシンボル的存在です。また当社の持ち ビル、天王洲セントラルタワーのエントランスホールにはアートを展示するスペース「アートホール」 (写真)を用意。毎月、企画展を実施し、いろいろな芸術作品を展示しています。同ホールのコーディネートのご指導頂いているのは、宮田亮平 東京藝術大学 学長です。宮田学長は鍛金技法研究がご専門です。展示される作品も面白く質が高い。3年先までは予定が決まっております。

聞き手: アートホールには誰でも自由に入れるのですか。

アートホール

中川氏: もちろんです。ビジネスの途中で、ショッピングの途中でふらりと入って見ることができます。アートに触れることで、知性や創造性が刺激されることが狙いです。入場料などもかかりません。

聞き手: 都市開発事業はCSRという側面も持っているのですね。

中川氏: 品川浦・天王洲地区は2005年6月末に東京都が進める「運河ルネッサンス計画」の第一号推進地 区に指定されています。運河ルネッサンス計画とは、利用の低下した運河や利用形態が変化している運河周辺の空間を魅力的な都市空間へと再生するための取り 組みです。この計画により、これまで港湾関連事業者に限定していた水域占用許可を規制緩和したため、水上レストランや観光桟橋の設置が可能となり、また運 河でカヌーやボートが楽しめることができるなど、都民が自由に運河を使えるようになったのです。現在、天王洲地区では天王洲総合開発協議会を中心に東京海 洋大学にも参加して頂き、「品川浦・天王洲地区運河ルネッサンス計画」を進めています。

聞き手: 天王洲でのノウハウを元に、他の地域開発コンサルティング事業を展開するということもあるのでしょうか。

中川氏: 水辺の開発事業以外に運河ルネッサンス計画のテーマの中には水質浄化もあります。このテーマに私たちの本業を生かして事業化出来る期待もあります。

■ 水質浄化に「鉄」が役立つ

聞き手: 本業は特殊鋼ということですが、それが水質浄化とどのように関係するのですか。

中川氏: その前に、日本の海の現状について説明させてください。現在、日本の海の各地で「磯やけ」という 現象が起こっているのをご存知ですか。磯やけとは、海岸に生えているコンブやワカメ、ひじきなどの海藻が減少して不毛の状態となり、代わりに石灰藻類(無 節サンゴモ)と呼ばれる海藻が海底を覆ってしまう現象です。磯やけは漁業に深刻な被害を与えます。

聞き手: 魚が取れなくなるということですね。

中川氏: そうです。植物性プランクトンがいなくなれば、それをえさとしていた動物性プランクトンが生息できなくなります。すると動物性プランクトンを食べていた小魚が減り、さらには中魚、大魚もいなくなってしまいます。

聞き手: 磯やけが起こる原因はわかっているのですか。

中川氏: 海藻などの海洋性植物を減少させる背景にあるのが、海中における鉄分不足が原因の一つです。植物 は光合成をして成長します。この成長に欠かせないのが、鉄イオン。植物は鉄イオンを根っこから吸収して、光合成を促進するのです。鉄イオンは土中や岩石に 含まれています。山や森に降った雨が土中を通じて川に流れていく過程で鉄イオンが溶け出し、海へと流れ出していくのです。しかし最近ではダムや護岸工事が 進んだおかげで、川や波によって岩石が削られるということがなくなりました。そのため、海中の鉄イオン濃度も低下しているんです。

聞き手: 鉄イオンの低下を食い止める策が見つかったのですか。

中川氏: 私たちは鋼材を扱う専門商社です。そこで東京海洋大学と鉄炭やイオンによる水質浄化の共同研究を 行うこととしました。鉄と炭素を団子のように固めたものを使っています。炭素は酸化鉄から鉄を製鉄するための還元剤の役割を担っています。これにより光合 成に必要な二価鉄イオンを出すことができるのです。この団子をヘドロに散布すると、ヘドロ中の腐食有機酸と結合してキレート鉄となります。これによりヘド ロが浄化されていくというわけです。

聞き手: 鉄で海をきれいにすることができるのですね。

中川氏: そうです。現在、JFEスチールや愛知製鋼、新日本製鉄などもこの鉄による水質浄化に大きな関心 を寄せています。漁師が魚を取れるようになればいいと思ってはじめた取り組みですが、今はもう少し壮大な計画を考えています。植物は光合成をして成長して いきます。つまり炭酸ガスを葉や幹に換えていく。これを炭酸ガスの固定化というのですが、この効率は日本の海洋植物の場合、陸上の約10倍とも言われてい ます。つまり同じ面積なら約10倍の炭酸ガスの固定化ができるということになります。日本は周囲をすべて海で囲まれているので、これをうまく利用すれば、 2020年までに温室効果ガス25%削減を実現できる可能性もあるわけです。鳩山政権にもこんな可能性があるという資料を渡しました。鳩山首相とはスタン フォード大に留学していた際、寮の部屋が隣同士だったのです。日本の鉄イオンの研究は世界一進んでいます。これを活用しない手はないと思うんですよね。

聞き手: そうなんですか。期待が高まりますね。鉄というと高炉というイメージから、どうしても大量のCO2排出をしていると考えてしまいます。日本で作られている鉄のうち、国内で使用されているのは何割ぐらいなのでしょう。

中川氏: 生産量の約4割は輸出されています。ではその4割分をすべて国外でつくればいいじゃないか、と思うかもしれませんが、そうは簡単にはいかないのです。

聞き手: どうしてでしょう。

中川氏: 輸出分を海外で生産するとなると、日本の国力が落ちるからです。排出権の先導者の欧州でも、鉄鋼 と電力は基幹産業として国外に出すことを辞めています。国の活力にかかわる産業なんです。現在、鉄の国内生産量は約1億トンとずっと横ばい状態です。一 方、中国は97年に日本に追いつき、今では日本の5倍となる5億トン以上を生産しています。地球規模からすると日本が数千万トンつくらないという選択をし たところで、大きな効果は得られないのです。それよりも先に紹介したように海洋植物の炭酸ガス固定化を研究することで、CO2を増やすことなく鉄を作り続けることができる可能性があるわけです。

聞き手: 鉄鋼メーカーも積極的に環境対策に取り組んでいくということですね。

中川氏: 先にも話したとおり、当社だけでできることではありません。JFEグループ企業とも協力して取り組んでいます。
鉄と炭素の団子はほんの一例です。私たちが今、考えているのはスラグを利用できないかということ。スラグとは鉱石から金属を製錬する際に副次的に産出さ れるもので近年では道路や鉄筋コンクリート製建物の構造床に用いられているのですが、これが使い切れずに結構余っています。

■ 新しいマーケット開拓にも積極的に取り組む

聞き手: 今まで捨てていたものが役に立つのですね。これも環境保護につながりますね。ビジネスにもつなげやすいのではないでしょうか。

中川氏: 今は啓蒙活動の段階で、まだまだビジネスになるというレベルではありません。これらの水質浄化に 関してはアドバンストプロダクト事業の一つとして取り組んでいます。このようなプロジェクトに関しては政府からの援助もあり、私たちも非営利の団体をつ くって実験をしていく予定です。
当社が展開するアドバンスプロダクト事業では、磁性品や電子製品などのハイテク素材や新技術の開発に携わり、高い付加価値を提供することで新しいマーケットを開拓しております。このような新しいマーケット開拓は、社内だけに限りません。独自の技術をもつ企業であれば、国内外を問わず出資を含め協業を行っています。

聞き手: 日本が成長するためにも、新しいマーケットの開拓は望まれるところです。

中川氏: 今まで日本はモノづくりで競争力を発揮して来ました。もちろん、今後も日本の競争力の源泉はモノ づくりであることには違いはないでしょう。しかしそれだけでは心もとない。次なる経済成長のエンジンとなる産業を育成しないといけないと思います。バイオ や医療、環境、エネルギーなどがこれからの期待できる分野と言われています。鉄鋼業界もエネルギーや環境分野で、貢献できることがまだまだあるはずです。
新しいことは時間がかかります。100アイテムのうちビジネスになるのは1つぐらい。さらに日の目を見るのには2~3年ぐらいかかります。だからこそ、今から新しいものを見つけていくことが必要なんですね。

聞き手: 鉄で水質改善できれば、本当にいいですね。ぜひ、日本の海を磯やけから救っていただきたいと思います。きれいな海は島国日本の宝ですから。
最後にBPIAに対して期待することを教えてください。

中川氏: PIAの価値とは、会に集まってくる人たちがもっている情報だと思います。いろいろな人たちと ネットワークをつくることで、人間のネットワークの数を2から4、8……と無数に増やすことができる。しかもBPIA会長の倉重英樹氏は魅力的なリーダー ですから集まってくる人たちも魅力ある人ばかり。これからも素晴らしい人たちとネットワークできる場を提供し続けていただければ幸いです。

■ まとめ

中川社長の語る「運河ルネッサンス計画」および「鉄と炭素の団子による水質浄化」に心奪われました。都心にある川や海では、なかなか水遊びはできません。 しかしそれが浄化されれば、都心でも川や海と触れ合うことができるようになります。たとえ仕事で行き詰っても日常的に自然と触れ合える機会が増えること で、心が癒され人間らしい働き方ができるのではと考えました。間接的ですが、水質浄化に取り組むことも、オフィスワーカーの生産性向上につながるのではな いでしょうか。
特殊鋼の専門商社という安定している事業だけにあぐらをかかず、常に次なる新しいビジネスの種を模索する中川特殊鋼の貪欲さにも感動しました。「新しい ものには時間がかかる」。これは会社運営だけにかかわらず、個人のキャリアを考える上でもヒントになる言葉だと思います。

(2010/4/7)