【第49回 目からウロコの新ビジネスモデル研究会】報告

テーマ:東京を向かずに自立した大船渡市-岩手-東北を創る
講師:佐藤 寧 大船渡市議会議員
2012年1月31日(火)16:00~ / 市ヶ谷 アーク情報システム

■はじめに

ご苦労様です。大船渡市議会議員の佐藤寧(やすし)です。

本日は,私が今までやってきたことをしゃべるつもりでおりますので,気がついたところは,それは違うんじゃないかと言って欲しいと思います。

 

震災が起きて,私自身,忸怩たる思いでおりました。3.11の地震がありましたが,私は被災者ではないのです。家も壊れていません。私の住んでいた山側は被災していません。同級生で死んだり,その両親で亡くなった人はいます。海側にいた人は,津波の被害にあいました。

今後,東京や他の地域でも,同じようなことが起こりうる,それを考えていただけたらと思います。ただ,表題の内容がちょっと大きすぎて,反省しています。これは,大船渡は土木,一次産業が中心ですので,東京を介さなくても岩手,東北で世界と繋がっていけたらということです。いろいろ試みがあったのですが,震災ですべてが白紙となりました。大船渡は震度6.0で,マグニチュード9でした。海側は瓦礫で一杯になっています。ただ,あのときの津波の様子を映像で見たのは4月になってからでした。山側にいたので,実際の津波は見ていません。電気もなくて直接テレビの映像も見られませんでした。

 

■被害と支援物資の支給

被災の状況をお話すると,陸前高田の海沿いの野球場がいま地盤沈下で海の中にあるような状態です。大船渡駅周辺も瓦礫だらけの状態です。大船渡市は,プレカットという,ベニヤ板の産業が発達していたのですが,この周辺地域で大きなシェアを占めていたベニヤ板が供給できないために,復旧が遅れた面もあります。材木が湾岸にあって,この木材がいたずらして家を壊しました。震災の次の日,大船渡の発泡スチロールのトレーを作っている工場で火災が出て,1週間ほど消えなかったこともありました。消防も十分なことができない状況でした。

そんな中,復旧が一番早かったのは三陸精工でした。目地切りで世界一の技術を持っている会社で,原子力発電所の事故でセシウムを除去するときに使うパイプの生産を委託されたので,何とかしなくてはいけないと,パイプを生産することになったのです。ただ雨のときなど,工場周辺は水が30センチほどたまっているような状況です。

 

被災状況に関して言うと,大船渡は周辺に比べて被害者数などが1桁少ないのです。4月下旬に地元選出の某参議院議員さんに,被害が少ない大船渡が早く復興すれば,周辺にもいい影響があるのでないかと話しました。しかし,実際には被災の少ないところは,民間からの援助はありますが,公共事業が少ないのです。いろいろまわったけれども,大船渡は大丈夫でしょう,行政機関も,消防なども残っているからと言われました。

 

被災地で安否確認を手伝うのはたいへんで,避難所を回るのは自転車と徒歩でした。そのうち在宅避難をしている人に,支援物資が行ってないことに気づきました。役所に行けばもらえるのですが,こんなときになかなか役所に行っていられません。地縁・血縁者が集まって一緒に住むと,しばらくすると風呂やトイレ,足音などでギクシャクしてくる,ということも聞きました。そういう中で支援物資だけでも,在宅避難者へ支給できるようにと,立根町(たっこんちょう)の公民館長さんと一緒に,町内に避難者がいることを一人ひとり確認して,書き出していきました。それを公民館長名で市長さん宛てに提出して,代表で役所に行って,米などをもらってきて,配って歩きました。400人近くいた避難者の8割から9割のところにお米やレトルト食品,オムツ,ジャージ,布団などが行くようになりました。

しかし,議員が支援物資を持ってきたというので,議会の偉い方と役所の偉い方に注意を受けました。公民館長名で行っているので,全く違法ではないのですが,妬みやっかみというのを感じました。市職員からは,どんどん回してくれと言われるので,2回3回と配りました。これを配るにしてもガソリン代は自腹ですし,軽トラックを借りるのにも謝礼が必要ですから,皆さんたいへんでしたが,がんばって4回目まで続きました。これは各地域でもできるはずですが,人のためにやっても妬みやっかみがあるんだなあというのが感想です。

 

■身元確認システム,研究所の誘致,見舞金の支給など

4月になって,大船渡に手伝いに行きたいと明治大学の先生がおっしゃってくださって,企業と明治大学によるボランティア集団「つむぎプロジェクト」が発足して,身元確認システムの開発と運営をお願いしました。新聞の2面3面に載っている身元確認の情報をシステムに取り込んで,絞り込み検索ができるようになりました。導入されて,5月30日,31日だけで,5万8千件が使われました。ご遺体や遺品の写真を公開してほしいといわれましたが,本人確認がないと言われました。そんなものできるわけないので,お願いしましたがダメでした。その後,福島県が公開してからそれが可能になって,たくさんの方に利用されました。

 

当時の平野総務副大臣に面会をして,被災地に被害や防災に関する国際的な研究所を誘致することをお願いしたこともありました。その後,釜石市に研究所ができました。取られちゃったかなとも思いますが,国際的な研究所ではないので,まだあきらめていません。

 

それから台湾佛教慈濟基金会による見舞金を一旦断ってしまったので,その支給を実現するため動きました。仏教色が強いという懸念もあったようですが,布教するわけではありません。配るにしても,その場にその時に行かないと支給できないという制度を改めてもらって,振込みも可能にしていただくことで,見舞金支給へと漕ぎつけました。

 

また亡くなった方の多いときだからこそ「あんどん七夕」をしたい,地域がばらばらになっているときだからと思いました。明治大学の20名程の学生さんが半月近くボランティアとして協力してくれて,「盛町あんどん七夕」が実現しました。ボランティアの方々を受け入れる仕組みもできていなくて,お風呂のある施設を見つけて,布団を用意するなど手伝わせていただきました。大船渡でも,これが唯一の夏祭でした。

 

年末にはまた別のイベントが実現しました。仮設住宅に住むお母さんから,狭くてクリスマスツリーが飾れないという話を聞いてきました。たまたまその話をしていたときに,明治大学の理事の耳に入ったようで,それなら御茶ノ水に毎年飾るツリーを大船渡市へ持って行っていいですよということになりました。亡くなった方への鎮魂という意味がありますから,大勢の方が亡くなった大船渡の駅の裏に場所を決めて,赤や黄色はやめて,青と白のツリーを立てようということになりました。困ったのは電源で,電柱から電気が取れないので,自家発電を使って,12月5日から26日まで,飾りました。しかし自家発電はお勧めしません。自家発電機の管理が大変で,ほとんど眠れなくなりました。

5日の点灯式には100人を超える人が来てくれて,25日のビンゴ大会にも150台の車がありました。その後,このツリーのことで女性から電話をいただきました。青と白のツリーになったお話をするうちに,嗚咽する声がこぼれ,しばらくして電話は切れました。

 

■防災と復興のデザイン

復興のためにと思って一番一生懸命やったのが製造業中小企業支援のための基金や支援制度の整備でしたが,実を結びませんでした。1万円の商品券を作って地元の産物を3000円分をお送りして,1000円を保証金に,6000円を企業支援に回すという商品券を考えましたが,支援を受けた会社が逃げたらどうしますかといわれて,協力が得られませんでした。

 

それから,災害のときに防災行政無線が使えなくなったことの反省から,スピーカーによる伝達のほか,個別受信機や携帯電話やラジオ等,さまざまな方法で行政情報を伝える方法の実験を行って欲しいと思っています。デジタルは波長が短いので,電波基地が必要です。防災無線はFMでやるのがいいのかもしれません。

災害時に,一番情報を得ていたのがFMとAMラジオでした。テレビはなかなかつかないです。ラジオも電池がないとダメですが,単純なものの方が強いということを身にしみました。災害時には,携帯電話でも受発信制限がかかります。電気がいかないということを考えたら,自家発電も必要かもしれません。情報というのは,少しでも流れ始めれば,多くの人に拡がっていく。一人ではなくて,そこから拡がっていくということでしょう。行政情報の複層化通信に関しては,3次補正予算や来年度予算を使って実現しつつあります。

 

大船渡は一次産業が中心で,太平洋セメントの他にも,水産加工品ではワカメなど7割から8割が復旧してきています。さばや秋刀魚も輸出できるようになってきています。ただ,ホタテやカキは,もう少しかかるかも知れません。

見ていると,創業者で昔の聖徳太子の1万円札をタンス預金していたような人は,自腹でどんどん操業を始めていて,そういうところには銀行もお金を貸します。ただ,北日本プライウッドのように,流木で訴訟問題を抱えてしまったところは,撤退してしまいました。そのために160人からの従業員が働き場をなくしました。港湾も,釜石の復旧が早く,大船渡の荷物をとられている状態です。これからもたいへんだろうと思います。

 

復興に向けて環境未来都市に2市1町が選ばれ,4つの構想が示されています。1番目が地産地消型のエネルギー社会の構築。2番目に蓄電池付きメガソーラーの建設。3番目が大規模定置型蓄電池製造企業の誘致。4番目が高齢社会への対応としてコンパクトシティの構想があげられています。もちろん,これはいいのですが,たとえば,3番目の電池の製造企業の誘致となると,リチウム電池の製造なのだろうと思うのですが,いま企業は辛いときなので,海外に出て行っているときに,来てくれるのかなあと思いますし,リチウム電池がどうなるかも分からないです。

それよりも,天然ガスの発電所を持ってくることを考えるべきではないかと考えています。セメントのあるところ火力発電所があるように,発電所を設置すべきではないかと思います。電力がないと,工場も成り立ちませんし,働く人がいなくなります。特区に企業が来て創業したいと思う街づくりが必要だと痛感します。

 

■おわりに

自然災害は防げません。その前提で,災害時のマニュアルを整備して作っていく研究所があったらいいのではないかと思います。毎日,ドクターが来て同じ事を聞かれて,かえってノイローゼになってしまいそうだったという話も聞きました。

また,いま中学3年生や高校3年生の受験生を持つご両親が心配しています。学研さんなどで教材をもらって配っていますが,お金がなくて進学できないのというのを何としてもなくしたいのです。

 

今日お話したようなことを,いろいろなところに発信して,参考にして欲しいと思います。

ご清聴ありがとうございました。

 

<記録 丸山有彦>