| 日 時: | 2009 年 4 月 23 日(木)16:00〜18:00 |
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| 場 所: | アーク情報システム(市ヶ谷)大会議室 |
21世紀情報システムを考える研究会では昨年、これからの情報システムには「情報の海=すべての人たちがあらゆる情報を共有するための情報の貯蔵庫」は本当に必要か否かについて議論してきた。なぜなら「情報の海」の必要性は従前からあらゆるところで語られてはいるものの、構築済みという企業はあまり聞こえてこない。そこで当研究会では、改めて「情報の海」の必要性について議論してきた結果、やはり必要という結論に達した。そこで情報の海、つまり情報を共有するための仕組みをつくるための条件を10か条にまとめ、BPIAのWebサイトに掲載している。
しかしながら当研究会は、21世紀の情報システムとは企業など組織に所属している人たちが自律的に生き生きと活動することを支援できるものでなければならないと考えている。情報の海だけでは、その目的は実現しない。情報をどう活用し、行動すればいいかが分からないからだ。
自律的な活動を促すための何らかの「フレーム」、つまり人の行動や考えに影響を及ぼす枠組みが必要になる。というのも一般的に人の行動は倫理観や慣習、モチベーションによって決められている。企業は企業としての倫理観や戦略によって、国なら国の倫理観や戦略など沿って行動する。例えばかつての日本の社会や企業が採用していたのが、大量生産という考え方だった。安価なものを大量に作り、輸出することで日本の産業を成立させ、成功を収めてきた。
しかし現在ではこの考え方は成り立たない。ではつまり、パラダイムシフトが起こっているのだ。では21世紀の情報システムを考えたとき、必要なフレームはどういったものであるべきか。その前段として、まず新しいパラダイムについて、当研究会では今年に入って月1回のペースで議論してきた。ただし、当研究会のナビゲータを務める田口潤氏が言うように,その議論は「迷走気味」となっている。
一口にパラダイムシフトといっても、20世紀型の仕組みがすべて新しいものに変わるわけではない。そこで前々回、前回では変わるものと変わらないもの、変えてはいけないものについて鈴木氏のプレゼンをたたき台に議論を交わした。しかし変わらないもの、変わるものといっても、社会、企業、個人というように視点を違えればそれも異なってくる。本筋は、「21世紀の社会、企業、個人はこうなる」という、いわば冷静な予測に近いものを描き出すのが理想とする姿だが、時として「社会論」になるし、「あるべき論」にもなる。
とはいえ、迷走気味に見える議論は今後何らかのフレームを導きだすために必要なことであるとも言える。そこで今回は、3人の方にショートプレゼンを実施してもらい、さらに様々な議論を交わしている。「今回の議論を通じて、できれば何らかの到達点に至りたいと思う。そして次回からは、異なるフェーズに入っていきたい。ただし、それを最優先するわけではない」と田口氏は語り、最初のプレゼンテータである共同ナビゲータの山田氏を紹介した。
山田氏のプレゼンテーションの内容は以下の通り。
今日はこれまで提案してきたことを、もう一度改めて紹介したい。
なぜ今、パラダイムチェンジを考える必然性があるのか。それを考える前に、まず「変化」という言葉ではなく、「パラダイムチェンジ」という言葉を使った意味を説明したい。ここで言うパラダイムチェンジとは個々がそれぞれ変わることで全体が徐々に変わってゆくことではなく、全体感がまず変わることで、それに応じて個々も変わっていくという状態を指す。個々それぞれが変わっていく状態であれば「変化」と言ってもいいが、全体感が変わるというと「変化」という言葉では表しきれない。だからこそ、パラダイムチェンジという言葉を使っている。
では改めて今、なぜパラダイムチェンジを考えなければならないのか。それはコミュニケーションのあり方が大きく変わったからである。インターネットが登場する前までのコミュニケーションは印刷物による伝達を前提としていた。このような情報伝達環境では、垂直統合型の組織が効率的だった。
しかしインターネットが登場したことで、いつでもどこでも正確な情報の交換が可能になった。社会全体における情報伝達の方法が変わったことで、これまでの印刷物による情報伝達に向いた組織から、リアルタイムなコミュニケーションに向いた組織、社会のあり方へと変わっていくのが自然の流れである。だからこそ、パラダイムチェンジを考える必要性がある。
前回の鈴木氏によるプレゼンテーションのように、中には変えてはいけないものもあるだろう。しかし何を変え何を変えないかを吟味することなく、「変われないから変えない」という理論はおかしい。情報伝達の方法が変わっているのだから、変えるべきは変えないといけないと思う。
パラダイム転換を遂行するには、いくつかの事柄が必要になる。今、私たちは何をしようとしているのか、次の社会はどうなるのか、おおよそこのような価値観で動くのではないか、というような意見を一致させることである。具体的に言うと
確かに今も個別にはいいことをやっている人はたくさんいる。しかし個別にやっていては、先ほどいったように全体は変わらない。まずは社会全体がどのようになっていくかを予測し、そのイメージを共有することが必要なのである。情報システムの世界でそれを可能にする動きがある。その好例がPEXAだ。PEXAは当研究会の参加者でもある安光氏が代表を務めるアトリスが開発した業務分析・要求定義の方法論。開発体系では、先の3つの要件を満たしたつくりとなっている。
PEXAは「今、会社の業務はどうなっているか」という「現在の業務のあり方」を業務プロセス記述言語をつかって記述することで「AsIs(現状)」分析ができるというだけではなく、AsIs分析の後に「将来、この会社はどうなっていきたいか」というToBe(将来像)設計を導きそれを記述できるからだ。情報システムの設計.開発において「それは当たり前ではないか」と思われるかも知れないが、スクラッチ開発であれ、パッケージの利用であれ、当たり前のことを実現できていないのが、現実だ。
それはさておき、第二次世界大戦後の日本は、製造輸出立国として確立するため、製造業を経済のエンジンとし、それがうまくいくようにインフラが整備されてきていた。それを図で表したのが、「既存のシステムを縮小均衡させようとしている現況-1」(下図)の右にある「戦後日本のシステムの構造」である。このようなシステムをうまく回すためには、縦割りの下請け構造の方が効率は良い。あらかじめやることが分かっている場合は、縦割り型の組織は効率が良い。この構造がうまく働き、日本はGDP世界第2位の国となった。よくできたシステムだった。
しかしここにきて、いままでの製造輸出立国の仕組みがうまくいかなくなってきた。「競争力 ―『Made in America』10年の検証と新たな課題―」(リチャード・K・レスター著)という書籍によると、日本の製造業に対抗するために米国はインターネットを社会インフラとしての導入動機としたというのである。つまり、インターネットは基本的に日本の製造業をたたくためと当初位置づけられたのだった。
儲からなくなった製造業において、現行の仕組みを成り立たせるためには、システムの境界を縮小させていくしか方策がない。縮小均衡していくだけでは、日本は浮上できない。だからパラダイムチェンジが必要なのである。
これまで説明してきた話を市場経済の面から表した図がある。その図を提案した、青木修三氏の説明を聞いてほしい。(ここからプレゼンタは青木氏になる)。
昨年の秋に起こった金融不安以来、世間では市場取引に関する様々な議論がなされている。これまで市場経済はどのように進化してきたか。これを2次元で表現したのが「市場経済の進化」図である。横軸を「仕事の担い手(誰が仕事を主としてするのか=「民」or「官」)」、縦軸を原則原理(principle=公or 私)とする。
第一象限は今や死語ともなった感もあるが「滅私奉公型」の社会を表している。仕事の担い手も「官」で、考え方も「公」。旧ソ連もしくは明治維新後から戦前の日本も そのような市場経済を営んできた。第二象限は社会主義市場経済。この経済では仕事担い手は「官」だが、考え方は「私」である。中国や戦後日本が代表例である。特に、戦後復興、そして高度成長時代から失われた10年といわれる90年代頃までは、日本経済は実際的に傾斜生産方式(戦後日本の産業成長の速度を速めるために採用された方式。石炭・鉄鋼 を重点的に増産し、他の産業に波及するように補助金などで支援する)を採用しており、最も社会主義的な時期だった。このことを表している寓話(創り話)がある。「毛 沢東が訪日した際、帰りの飛行機の中で、『こんなにも社会主義がうまくいっている国があるんだな』と感心して帰った」というものだ。
日本は自由主義経済だと憲法にも規定されており、米国をはじめ諸外国向けにはそう表現してきたが、実際採っていた政策は違った。活動の主体として苦労したのは「私」だが、担い手として「官」が大きな顔をしていたのである。この市場経済の問題点は民の活力を削ぎ、かつユニークな発想自体を遠ざけることである。「出る 杭は打たれる」からだ。
第三象限は失われた10年と呼ばれた、90年代から2002年までの市場経済を表している。この期間の仕事の担い手は「民」で、考え方も「私」という市場最重視 型。市場原理主義とも言い換えることができる。この代表例は米国。小泉首相・竹中大臣コンビが進めた構造改革は、これに近かったと考えられる。
先ほどの山田氏の説明にもあったが、戦後の日本はBtoBについてはしっかり取り組んできたが、BtoC、消費者や市民に対しての取り組みは非常に脆弱だっ たと思われる。そういう市場経済のまま、いいものは何でも取り入れようということから外資系の金融機関や投資ファンドなどの提案により、性急に第三象限入 りを実行したのだろう。小泉・竹中コンビが辞め、今の麻生政権になってからは、その反動で今は第二象限に戻るような傾向がある。日本の企業は株主だけの重 視しているわけではない。従業員もお客様も大事にしてきた。しかし過激に第三象限に進めた結果、それが忘れられていたのかもしれない。
しかしここで第二象限に戻っては、何のために我々が血を流して苦労しているかわからない。山田氏の言うように、今こそ大きなパラダイムシフトが望まれる。 それが第四象限である。この市場経済を支えるのは公の心をもった「民」である。主体は「民」だが、考え方は「公」という「市民型市場経済」。例えば環境問題などもそうだが、外部不経済(ある経済主体の行動が、その費用の支払いや補償を行うことなく、他の経済主体に対して不利益や損失を及ぼすこと)を内生化するという考え方が必要になる。
「公」の心をもった市民が重要な役割を果たす市場経済に昇華しないといけない。心が追い付かない、節度がない、倫理観がないことから市場取引自体を危うくして いるときには、市場経済が悪いのではなく、その担い手としての心ない、節度のない、倫理観のない主体(人間)に問題があるのだ。市民型社会を成り立たせる ためにも、一人一人がシステムという有効な手段を使いながら、個性を発揮できる社会になっていることが望まれる。市場取引はこういう風に変化してきた。こ れからは支えるべき人間が「公」の心をもった人間が人間性のある市場経済を志向していくのが得策だと考える。
この後、青木氏のプレゼンテーションに山田氏がコメントした。
山田氏 青木氏はまさしく私の言いたいことを言ってくれた。小泉政権により市場経済の舵を急速に米国型にシフトしたという話があったが、日本はそのぐらいでないと、変化しないと思う。
青木氏 その通り。竹中氏とはやりあったこともあったが、日本の金融業界が抱える問題を、スピード感をもって処理したことは間違いではなかったと思う。やり方が正しかったかどうかについては疑問が残るが。
山田氏 麻生政権になり、小泉政権の反動で揺れ動いている。これは私が先ほど説明した既存システムの縮小と同意だろう。
青木氏 私はリーマン倒産後最近まで、本当に微力ながらお客様への事後対応と優秀な若手の再就職支援をしていた。それも不十分ながら一段落し、年始にこれまでのいきさつを、少し客観的に振り返ってみた。市場取引に参加していた人々が、倫理観や節度などを欠いていたため、市場がある意味、健全に働き、破たんに至ったのだと考えられるようになった。つまり、その影響からみれば、「あってはならない破たん」であったが、ある意味では「なくてはならない破たん」だったのではないかと考えるようになった。システムも運用する人間の資質が問われるようになる。
山田氏 情報の海ができても、使う側の人間が何でこれを使うのかを考えないといけない。そこで必要となるのが思考のための意識フレームだ。フレームとは意思決定し行動する背景になるもの。フレームモデルをA,B,Cの三段階で考えることはもともと、エンゲル・バートという学者が提案した概念である。ここでは個人、企業、社会という3段階で整理したい。
人間の行動の背景には意識フレームがある。生まれた時は肌感覚で行動している。しかし親からしつけ、教育を受けていくうちに、社会を意識するようになる。これまでの日本は人と違うことを良しとしなかった。そのため、自分を表現しなくなる傾向があった。一方、米国の教育はあくまでも自分を表現することを重視する。
日本の組織フレームは横並び系列産業文化となっている。今のサラリーパーソンは会社に入ると会社のフレームに合さないと生きていけない。自分の意見がなくなっているのである。これからは組織個を自分の肌感覚にあったものへと取り戻さないといけない。当研究会の参加者の一人である田口正則氏が代表を務めるシステム開発会社、ソフタスでは、従来の組織フレームから脱しつつある。それを表したのが「ベンチャー行動の意識空間」図である。
同社では会社フレームではなく、従業員が社会意識フレームにより、行動を起こす様な組織を作りたい、としている。そして従業員の気持ちの分かる組織にしたいというのだ。米国のベンチャー企業に勤めている人たちにも聞いたが、社会が求めていることをやっていくのだという。その行動を会社が制限すれば、その会社は辞めるというのである。社会的責任を果たそうとする個の活動をやらせてくれるのが会社だ、というのだ。それを図では組織フレームを点線であらわして透明化し、社会意識フレーム視点から直接行動フレームへつなげることで表現してある。
この図のままだと組織へのプッシュが精神論になる危険性があり、もっと具体的な事象で組織を動かせるようにさらにその図を進化させたのが、「ベンチャー行動の意識空間の下図」である。
次のフレームモデルは、そのようなモデルを背景に、先日鈴木氏が提案した図に佃氏の「個」を強調する意見などを取り入れて改めて整理したものである。
個人があくまでも組織フレーム、社会フレームをつくっているんだということを表すために、個人フレームを逆三角とし、そこから矢印を出した。鈴木氏の図では現象が書かれていたが、その現象が起こると考えられる仕掛けを取り出して記載している。
A(個人フレーム)B(組織フレーム)C(社会フレーム)各層の仕組みはどのように転換していくと予想できるのか。社会は同質社会から多様社会へ、組織は垂直統合から自立水平連携へ、個人の活動は供給ベクトルから市場ベクトルへ、部門最適から全社最適へと転換していくことが情報のフラット化の時代を迎えて自然な流れとなるはずである。当研究会では変化Aの対策の検討を第一に取り組んでいく。
コンピュータ業界ではオープン市場が囲い込み文化を崩すことで、すでに多様社会へと転換している。以前はIBMによる囲い込み市場だったコンピュータ産業が米シリコンバレーのベンチャー企業によるハードウェア、OSのオープン化、さらにはインターネットインフラで全世界にネットワークを張り巡らしたことで、囲い込み市場を成り立たなくしてしまった。
それに気付いた米IBMのルイス・ガースナー元会長は、93年に大規模な人員整理を行い、これまでのIBMとはまったく異なるサービス会社へと方向転換させたのである。携帯電話の世界もiPhoneが登場したことにより、コンピュータ業界と同じようなことが起こりつつある。
このように、世界は動いているにも関わらず、日本のコンピュータ関連企業はいまだ囲い込み市場のままの体制を維持しているところが多い。オープン市場を外資系が担うことで、全体のつじつまを合わせているだけである。日本が本気でオープン市場を自ら作らないと、今後生き残ってはいけない。
それを実現するための統治概念の転換がマネジメント文化からガバナンスへ文化への転換だろうと考える。
マネジメントとはあるフレーム中でまとめるという概念である。垂直統合組織には非常に効率的な文化だが、親企業の意向(フレーム)に沿ってマネジされるので多様性がなくなるという欠点がある。これからの多様社会では異なるフレームをもついろいろな、自律したステークホルダーが横連携するビジネスが主流になる。AmazonとFedexによるサービスなどはその一例だ。コンピュータ業界でいえば、SaaSもそうである。異なる自律したフレームで作ったサービスを必要に応じて選択して、より大きいな全体としてまとめてビジネスやサービスとして纏め上げることを可能にするのが、ガバナンス文化である。
最後の図(何故情報の海か)はベクトルチェンジを表したもの。
今までは経営効率を高めるため供給者に都合の良い視点で事が行われた。これからは多様性を求める社会。そうなると市場からの視点にあわせて組織をまとめることへとチェンジしなければならないということを表現した。これについては神谷氏のプレゼンテーションにより理解してほしい。
次に、3人目のプレゼンタとして、神谷氏が登壇。「21世紀型組織における情報システム」について、仮説を示した。その内容は以下の通り。
ナビゲータの田口氏が冒頭でも述べたとおり、21世紀のビジネスにおいては「情報の海」は必要である。山田氏が説明したように、パラダイムシフトは既に起こっている。またITの進化により、情報の海はどんな会社でも作れるし、既に作っている組織も出てきている。
20世紀の組織およびシステムの制御の中心は経営者だった。経営者が意思決定をし、それを受けて部門が筋肉のように動く組織構造である。システムは部門ごとに整備されており、経営者はここから抽象化された経営情報を見て意思決定をする。完全に供給者視点のシステムとなっている。経営者は自身のフレームを持っていて、それに基づいて組織、および市場に影響力を及ぼす。
一方、新しい21世紀型の組織では、経営者は直接、影響力を市場に及ぼさない。経営者は場の中心という位置づけとし考えている。組織もこれまで同様、変わらず存在するが、それを構成するのは自律した個人の集まりである。個人の行動の積み重ねは市場ポータルに対して影響力を及ぼす。市場に対しては間接的に影響力を及ぼす。市場の欲求も市場ポータルを通じて伝えられる。このような仕組みが構築されることで顧客の生の声が伝わり、市場視点に立った組織になる。組織内部においては内部ポータルが作られ、業務の機能に合わせたサービスが提供される。様々な情報は「情報の海」に集積され、誰もが自由に取り出せるようになっている。自律した個人にはそれぞれのフレームがある。それを組織全員で共有する。
下図は21世紀型の組織図をさらに洗練させたものである。組織は自律した個人の集まりとなっており、組織を構成する個人は内部ポータル通じて、必要に応じて社内に分散する様々なリソースおよび「情報の海」にアクセスできるようになっている。情報の海に蓄積される情報は生の情報も含まれる。しかもいかなる形でも取り出せるよう自由度が上がっており、個別の具体的な情報に基づいて意思決定できるようになるという特徴がある。
情報の海」や各リソースから情報を引き出す場合、それぞれ個別にアクセスするのではなく、それらを一つの場所から好きな時に見られるような装置(ポータル)が必要だろうと考え、設置した。それを組織の内部の装置は「内部ポータル」、市場との情報装置は「市場ポータル」とここでは名付けている。市場からの要求に答えられないことがあっても、ポータルを通じて組織にいる他の個人の支援を受けられる。21世紀の情報システムを図で表すとこのような形になるのではないだろうか。
神谷氏まとめ
供給者の論理 (20世紀型の組織)
市場の論理 (21世紀型の組織)
プレゼンテーション終了後、質疑応答が行われた。
青山氏 情報ポータルや内部ポータルは具体的にはどのようなものを想定しているのか。
神谷氏 ポータルとはアクセスが保証されており、誰でもほしい情報が取得できる仕組みなので、基本的には電話でもなんでもよいと考えている。最も有力なのがコンピュータの画面(ホームページ)だと思われる。
青木氏 新しい組織は自律した個人で構成されるという。そして自律した個人には選択して判断する能力が求められる。内部ポータルにあふれるほどの情報が入ったときでも、情報を選択して判断できるような能力をどうやって培っていくのか。ここが一番の課題ではないだろうか。
神谷氏 当然、中には落ちこぼれる人も出てくるだろう。しかしそれ以上のメリットもある。現在、十分活躍できていない人の能力を使うことができるようになるからだ。
山田氏 確かに自律した個人を育成するのは、簡単ではない。幼児教育から考えていかないといけない問題だ。
青木氏 日本は長らく単一民族として成り立ってきたため、多様な社会に慣れていない。そんな日本が多様な世界とつなげていくのはすごく大変なこと。「異質なものとの共生」が必要だというのは簡単だが、容易なことではない。
山田氏 全員が自律した個人になるのは確かに難しい。しかし1%でも自律した個人が組織内に育ってくれば、変わると思う。
田口(潤)氏 単に情報の海があれば個人が自律的に動けるというわけではない。山田氏が「『変化』の定義 情報の海とその使い方」でも説明したとおり、個人、企業、社会という各フレームにおいて変化が起こっている。例えば個人にとって企業はこれまで滅私奉公の場だったが、これからはやりたいことを実現する場となるべきだし、現実にそうなる可能性は高い。
このように大まかにはこのように変化していくということは分かる。では改めて、新しいフレームとは何かというとまだ、明確には定義できていない。本来は次世代のフレームモデルについて議論をしていきたいのだが、今回はもう一人、IT記者会の佃氏によるプレゼンテーションを聞き、それについて議論をしていきたい。
佃氏のプレゼンテーション内容は以下の通り。
私は長年、IT関連の記者としてユーザー企業を中心に取材を行ってきた。今年の3月からも北海道から九州までの中小企業の情報化について取材してきた。日本国内には個人事業主も含めて450万の事業所がある。企業は160万社だが、そのうちの157万社中小企業である。つまり世の中の99%は組織があるようなないような層で占められている。ここを見ないとフレーム論も含めて大企業論になってしまう。
例えば名古屋にある中堅ネジメーカー八幡ねじ(従業員数約600人)では、2000年問題をクリアした翌年より、メインフレームで構成していた従来システムの刷新に取り組んだ。2001年よりシステムの検討を始め、2006年にようやく刷新プロジェクトの第一フェーズが終了した。八幡ねじはメーカーであると同時に、他のネジメーカーから調達して納品するという商社機能を持っている。そのため扱う商品の数が非常に多い。ねじの標準品だけで2万5000種類。特注品を含めると3万点を超えるという。顧客はもちろん、営業担当者もすべての製品の情報を覚えるわけにはいかないため、ビジネス上に不都合が起こることも多かった。
それを解消するため、新システムでは、すべてのネジをデータベースに登録、発注元の顧客と製品管理の情報を共有できるようにした。すべての製品はスペックがきちんと掲載されているため、A社はその注文通りに品物をつくればいいし、発注する側もあらかじめ正しい情報を基に発注するので間違いがなくなる。先ほどの神谷氏の図で言うポータルが出来上がっている。新システムの効果は取引が効率的になっただけではない。営業担当者は過去の取引先情報(受注先も発注先も)がすべて見られるようになった。いつ、どのタイミングでどの顧客がどんな品物を発注したのかが分かるようになったため、「そろそろ次の注文が来る頃だな」などという予測に基づいた営業ができるようになったのである。
現在、ネジ業界のトップを走るミスミという企業があるが、八幡ねじの社長は「情報システムではうちが先行している」と自負している。新システムに刷新されたことにより、八幡ねじでは事業部制は形式上残ってはいるものの、情報という点ではフラットな組織へと変化した。指揮命令系統もなく、営業担当者が独自の判断でどんどん動ける仕組みになっている。もちろん顧客とのトラブル情報などもすべて、ナレッジベース的な仕組みを用意し、共有している。
なぜ八幡ねじはこのようなシステムを作ったのか。それを探るため、東大阪の金型メーカーA社を訪ねた。実はこの会社が作ったシステムが、八幡ねじの原型だったからである。A社も八幡ねじ同様商品点数が多く、特注品と標準品を合わせると、3000〜4000種類にも上るという。
A社社長に「なぜ、このようなシステムを作ったのか」と質問したところ、「この会社で勤めてよかったと孫にまで自慢できるような会社にしたかった。それを実現するために、このシステムにたどり着いた」という。A社は従業員13名で3500種類もの金型の設計図を管理している。しかもそこで働いているのは、大企業のように大学工学部を卒業した人ではなく、昨日までフリーターだったり、まともな仕事に就いたことなかったりする人たちがほとんど。「そういう人材にそれなりのレベルの仕事をさせるには、仕組みがないとやっていけなかったから」ということもある。
しかも彼らは、仕事をさせられる感が少しでも感じられると反発していたという。そこでA社では「困ったことがあれば、これを見ればうまくいくよ」という仕組みを作ったというのだ。あたかも自分で判断して動いたような錯覚をさせるような仕組みを作ったことで、従業員の仕事に対するモチベーションは非常に高まった。顧客からの評判もよく、それがまたモチベーションアップにつながっているという。バブル崩壊後、売上はそれまでの4分の1に激減したが、現在はピーク時の2倍となっている。
北海道の協和コンクリートや九州福岡のクリーニング業「トゥトゥモロウ」も、社員が自律的に働ける仕組みをつくっている。
このように国内167万社ある中小企業においては、企業が求める存在意義が従来までとは違ってきているように感じる。企業である限り、一定の利益を上げることは必要だ。それよりも、社員が自分の判断で自律的に仕事をこなしていけるような組織体でありたい、社員はもちろんパートやアルバイトも含めて全員が満足感をもって仕事できるようにする組織体、場でありたいという企業が増えてきているように思う。そしてそのような思いを具現化するシステムが今、注目されている。
本題に戻りたい。現在の社会はどのような構造になっているのか。それを図にしたのが「組織による運営」である。
最も上位に霞ヶ関や永田町という官公庁があり、その下に地域社会などが位置する。個人はさらにその下にいる。そして個人はどちらかというと点としてバラバラに存在しており、それらは互いに連携しない仕組みが出来上がっている。青木氏のプレゼンテーションにも登場した「営利中心型の社会」の結果だろう。
先に紹介した中小企業の動きを見ても分かるように、次の段階では、企業や組織は世の中における一つのパブリックドメイン(社会全体における公共財産)として機能していくのではないかと思われる。今、このような組織の場合、NPOという言葉で表現される。NPOは無償で奉仕するというイメージがあるが、NPOが収益を上げたり人を雇用したりしても問題ない。町内会(現在は地縁法人)や商工会、組合、商店街、非営利中間法人、一般社団法人などのように、企業も社会が納得するような利益を上げないと存続は難しくなるだろう。企業は顧客だけ、株主だけではなく、従業員、地域社会まで含めて利益をもたらすような活動をしないと、世の中に存在として認められなくなるのではないかと考えている。
現在は大企業が苦境に立ち失業者が大量に出ることになれば、公的資金を注入するという救済措置を施している。それはこれまでの理論。これからはつぶれる会社はつぶれていけばいい。逆に世の中に貢献している会社を助けていくという視点に変えていかねばならない。これを表したのが、「機能による運営」図である。
これからの社会は個人が再上位概念となる。その個人もユニオンや地域、地縁、職業などで分散するのではなく、お互いにしっかり連携し、地域や企業などいずれのドメインの中でも自律的に動くような存在となる。
こういう仕組みをつくり、営利と非営利の理論を行き来する。これまでは非営利理論は無償であることが当然だという一方的な理論が、営利の理論は利益を上げることが是である、という理論がまかり通っている。それぞれ一方的な理論に終始している。これからの社会はそうではなく、利益は営利、非営利の両方がミックスされたものなっていくことが望ましい。
そして世の中は組織による運営ではなく、機能による運営に変わっていくこと。機能に着目すれば、現在の中央官庁のような縦割り組織は解消していかなければならないことが分かる。地方行政も2階建て、3階建ての構造はおかしいと気付くはずだ。
まずは人の位置づけ、組織のあり方を機能で再整理する。そうすると新しい世の中の再編の理屈ができてくると思う。もちろん一朝一夕にすべて変えることができるわけではない。こういう世の中になるという前提で、21世紀型のシステムの議論を進めていくほうが良い。従来はこうだからということから始めてしまうと、昔の考えから抜けきれない。ここでは昔の考えを捨て去って、将来はこうなるだろうということから考える。それを実現するにはこういうシステムになるだろうと考えていく方がいい。山田氏の絵を見ると、ようやく抽象論から具体論に移行できるような気がする。世の中の2/3は非正規雇用という世の中を視野に入れたフレームを作れそうな気がする。
山田氏 SaaSが日本でなかなかうまく動かないのは、現行の組織が部門を単位としといて、機能カットの組織でないから。機能による運営に変われば、きっと動くようになる。
佃氏 縦型の組織ではビジネスマナー、ビジネスプロセスが優先されてしまうため、「こういうSaaSを使いたい」といっても、取引先との関係がなどにより使うことができなくなることも多い。ユニオン型になると共通基盤化できる。
山田氏 放射線の医者にいった。治療のための高価な装置はあるのだがそれを使う放射線医がいないという。病院は全部縦割りでできていて、放射線のような部門共通の治療に回る前に肺だとか胃だとか、各部門の治療が先行して、現状では客の方から強く放射線と言わないと放射線治療に回ってこない、ということらしい。この構造は供給者と市場の関係を良くあらわしている。供給側が縦わりで組織されていると、よほど客側が強く必要な機能を要求しないと、自分に必要な組織機能を引き出せない。
安光氏 米サン・マイクロシステムズがおかしくなったのも、保守は保守、ハードはハードというように縦割り組織になったから。米国の会社は、無責任な縦割りになっていることが多い。フィールドサービスと製品を別々に売っている。
佃氏 リコーはそこに気付いて、システムは全部機能で提供できるようにしている。フィールドサービスと電子部品の調達部門を含めて、すべてユーザーという切り口で切ろうとしている。さらにはリコーの販売代理店、その先にもあるので、そこまで含めたポータルを作ろうとしている。すでに変化しなければならないことに気が付いているトップ企業もある。
田口(潤)氏 初めて参加された方に感想を聞きたいと思う。
小林(義)氏 私は情報システム学会に参加しており、そこで学会監事、および人材育成委員会委員を務めている。この研究会に対して教育という面から3つ提案がある。第一にフレームづくりにおいて、教育界で研究されていることが参考になるのではということ。その一つが分散認知という考え方である。社会的分散認知における「認知」とは、「個人の頭の中」だけで生じるのではなく、他者との相互行為や共同作業、それらを取り巻く環境全体に分散するという考え方だ。米副大統領アル・ゴアが提案した情報スーパーハイウェイ構想はその表れのひとつ。ゴア氏は全米を高速通信回線で結ぶことで、知識が広がることを期待した。日本の有名な認知心理学者の一人である佐伯胖(青山学院大学文学部)教授の著を読むと参考になる。
日本の縦社会がなぜよくないのかについては、山口二郎教授(北海道大学公共政策大学院教授)が参考になる。山口教授は「安心社会、信頼社会」といっており、欧米と日本の社会の違いについても分析している。欧米では初めての相手でも信頼し、チャンスを与えることが多い。一方、日本では初めての相手にチャンスを与えたいと思っても、コネクションベースでの取引や組織の壁により遮られてしまい、取引先を変える機会を失ってしまうことも多いという。このような状況から日本は脱さないと駄目になるという社会的な提言もされている。
2点目は自律的な個人を多く生み出すために、教育が果たす役割が大きいということ。自律的な活動をするには、コミュニケーション力は欠かせない。日本人が欧米人に比べ、議論する能力が劣っている。その理由は教育にある。欧州では小学生の頃から絵本の読み方、作文の書き方などクリティカル・リーディング(クリティカル・シンキングを用いて文章を読解すること。クリティカル・シンキングとは批判的思考だ。
モノの価値や人の意見をそのまま受け取らず、疑ったり評価したりする考え方である。客観的かつ分析的に物事や情報を理解する)を学び、人間が「生きる力」として非常に重視されている。日本では疑うことは美徳とされない文化のため、そういう教育は施されてこなかった。つくば言語技術研究所の三森ゆりか先生などは、ここに欧米諸国の人々に比べ、日本人は議論する力が弱いという原因があるとし、この問題は教育で解決できるという。またクリティカル・リーディングの要素を次の指導要領改訂時に盛り込むような取り組みも始まっている。
3つ目はすべてのIT技術者が自律的な個人になれるよう教育施策を見直すこと。日本経済団体連合会が高度IT人材育成施策を検討しているように、日本ではエリート教育を中心とした施策が多い。しかしIT技術者の全体的なレベルアップを図るには、トップ層のレベルを上げるのではなく、平均のレベルが上がることを考えるのが得策である。IT技術者も自身に自信があれば、自分の意見をはっきり言えるようになる。
山田氏 学会でも今言った3点について現実になるよう取り組んでいるのか。
小林(義)氏 なんとかできないか取り組んでいる。
田口(潤)氏 この研究会では小林(義)氏のように自身の知見をどんどん紹介してくれると嬉しい。ほかの初参加の方、感想や意見があればぜひ。
谷口氏 佃氏の話はわかりやすかった。20世紀型から21世紀型に移行するための障壁もわかった。
佃氏 450万ある事業体のほとんどは、10人以下の零細企業。そこの人たちは、変わらなければ生きていけないと実感し、変わることに必死になっている。そして現実に変わっている。障壁はあっても関係ない。変わることに対して必死になれるかどうかだと思う。
谷口氏 変えたいと思っているが、ある程度閾値が必要だと思う。例えば零細企業の場合、今の補助金制度で変えろといわれても、なかなか難しい。しかし国を当てにしても、駄目だということもわかった。非常に良い会だった。
田口(正)氏 私は、先ほどの山田氏のプレゼンにも登場したソフタスという会社の社長を務めている。うちの会社が山田氏のプレゼン資料にあったような組織構造になったのは、理論的な裏付けがあったからではなく、感覚的に理解ができたから。今日、青木氏による市場経済の話を聞いたことで、市場経済がどこに動いていくかがわかった。そして私の会社は今後、山田氏の「ベンチャー構造の意識空間」という図に向かっていくのだろうということが理解できた。個人的には、この研究会に期待するのは、今どこの世界で、今後こういうことが起きていくのではないかということを明らかにしていってほしい。そうすると私たちのような小さな企業も、行動が取りやすい。佃氏のプレゼン内容には共感できないところもある。是非、議論する機会をもちたいと思った。
最後にナビゲータの田口(潤)氏は、「今日の話し合ったことの中には理解できていないこともある。しかし次回以降の議論の種になるものも見つかった。今年からゆとり教育世代が入社し、現場は大変なことになっているという。当研究会でもいずれは、教育の問題についても議論していきたい」と次回開催に向けての抱負を語り、研究会を締めた。