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「ビジネスモデルを考えるにあたって」
講師:山田博英氏

第二回「新・ビジネスモデル」研究会 オープンセミナー
(2008/1/23、於アーク情報システム)

「ビジネスモデルを考えるにあたって」

山田博英氏 株式会社アールワークス 監査役
1965年早稲田大学工学部電気通信学科卒。65年 東芝(当時・東京芝浦電気)入社。71年イリノイ大学コンピュータサイエンス修士過程卒。73年 日本CDC入社。1985年グールドエレクトロニックス・ジャパン入社。89年 日本サンマイクロシステムズ入社、98年アステック入社。2005年アールワークスに転籍。

「新・ビジネスモデル」研究会オープンセミナー第2回目は、アールワークス監査役の山田博英氏による講演。山田氏は1990年以降、世界は過去とは違うパラダイムで動き出しているが、日本の組織は相変わらず古いパラダイムに固執しているという。そこで90年代の情報産業に起きたパラダイムシフトなどを例に、これからの日本企業に求められるモデル、組織や情報共有のあり方を共有・検討する必要があると述べ、そのための方法として「フレームモデル」を提言した。以下では山田氏の講演の要旨とそれに続く、質疑応答のエッセンスを掲載する。

会場風景

IBMの例を参考に転換のイメージを共有

 1980年代までの情報産業は半導体からOS、アプリケーション、周辺機器までを全部自社でまかなう、自社の技術が一番という総合主義の時代だった。当時から情報産業を牽引していたIBMやその他のコンピュータ・メーカーが、これを実践していた。これは顧客となるユーザー企業も同じで、ある会社に頼めばすべてやってくれることがよかったのである。総合主義による垂直統合社会では自社内だけ、もしくは系列グループのみの部分ネットワークの中でコミュニケーションをとる。それ以外の企業がコミュニケーションをとりたければ、系列に入るしかなかった。

 情報産業に転換点が生まれるきっかけを作ったのは、82年に創立されたサン・マイクロシステムズだ。同社は「Network is the Computer−Open Interface−」というビジョンを掲げていた。このようなサンの考え方を咀嚼し、転換を推進したのは、やはりIBMだった。「地域や国を超えたネットワークを実現するには、自社の技術だけにこだわっていては実現できない」。IBMは、標準インタフェースにより、情報がフラットになる世界を築くためにいち早く取り組んだ。

 もちろんこれには伏線がある。80年代末から90年代前半にかけてのダウンサイジングやオープン化へのムーブメント、そしてマイクロソフトとのパソコンOSにおける覇権争いに敗れたことだ。経営に行き詰ったIBMは93年、その歴史の中で初めて社外から社長を招聘した。ルイス・ガースナー氏である。

 当時、RJRナビスコのCEOだったガースナー氏に対して、「ビスケット屋のオヤジに何ができる」と冷ややかに見る向きも少なくなかった。ところが、彼は情報産業をきちんと捉え、IBMが生き残って成長を遂げるには組織が抜本的に変わらなければならないことを認識していた。どうすれば会社が変わるかも知っていた。そして30万人の社員を10万人に減らし、新たに10万人を採用するなどして、見事にIBMを変えていった。このあたりのことは彼の著書である『巨象も踊る』を読むと、よく分かる。 例えば、同書には、こんな記述がある。「一般的な見方では、PCが次の大物ということになっているが、そうではない。メインフレームモデルにとって直接的な脅威になったのは、サンやヒューレット・パッカードなどが中心になって進めた「オープン」なオペレーティング環境のUNIXが台頭してきたことだ」「95年の秋、この戦略への確信は深まり、ネットワーク中心のコンピューティングをIBMの戦略ビジョンの中心にすえる決定を下した」「決断が最も難しかったのは、技術面でも財務面でもない。それは企業文化の改革だった。痛みの伴う企業文化の改革は上からの号令でできるわけではない・・・」。今も、学ぶ点が多い本だ。

 パラダイム転換をしたIBMは、15年後の今日、コンピュータを製造する会社ではないし、ソフトウェアを提供する会社でもなくなった。単なるコンサルティングやアウトソーシングの会社でもない。情報ネットワーク技術を強みにしながら、顧客が必要とするあらゆるサービスを提供するグローバルカンパニーになった。

 一方、日本のコンピュータ企業はどうか。結局、IBMを追随しようとしたが、できなかったか、そもそもほとんど何もしなかった。事業のポートフォリオとか、ハード、ソフト、サービスなどのビジネス領域だけを見ると、大して違わないように見える。しかしIBMがしたような大転換は、一度も経験していない。結果として、収益力のみならず、情報産業における影響力や変化を先取りし、リードする力に差が付いてしまったように感じる。こうした過去10数年に起きた、彼我の違いをどう捉えるべきだろうか。これが今日の本題である。

転換を図るための要素は整っている

 戦後の日本は欧米先進国の技術や経営を取り入れ、製造輸出立国を目指すという大局的な決定を共通意識として、産業を発展させてきた。この共通意識があるために、日本企業や日本人は、新しい技術の開発、洗練や、モノづくりの効率化など、ちょっといい方は悪いが”ハウツーもの”に専念でき、国内でのし烈な競争を通じて国際的な競争力を確保してきた。製造輸出立国のもと、政府、製造業、公共事業、地方行政といった中核システムを通じて、中央経済から地方経済にまんべんなく富が行き渡る構造が完成していった。

 ところが今、国際市場は地球全体のネットワーク化へと転換を図っている。日本が立脚しているこれまでの大局感が通じなくなっているのである。にもかかわらず、日本は従来の共通意識の中で右往左往している。ここにミスマッチが発生し、日本の存在感とか、企業や個人における方向性が失われる、つまり戦後日本のシステム構造が滞っている。今こそ、「大局的な決定をし、それに基づいて行動すること」が、各企業に求められている。大局的な決定とは人の考え方や意識の規範であり、パラダイムと呼ばれる。つまり今求められているのは、新たなパラダイムであり、それに向けてシフトを起こすということだ。

 そのとき、必要になるのが「組織神経としての情報装置」である。現在では、組織の日常の活動状況をリアルタイムでデジタル化し、その正確なオンライン組織情報をインターネットにより、いつでも、どこからでも把握できるようになった。このようなリアルタイムのオンライン情報群を「情報の海」と呼ぶ。日々、活動し、判断し、決裁するために必要な情報は、情報の海にある。私たちホワイトカラーの仕事場は情報の海であり、この情報を各人がどう使っていくかが重要になる。つまり、人の頭の良さが非常に大事になる。

ネットワーク組織

 情報装置により、組織のあり方は変わる。情報を紙で回覧する時代においては、垂直ライン型の組織で縦方向にコミュニケーションするほうが効率はよかった。実行部隊としての「課」があり、その上に「部」や「本部」を設置して実行部隊間(横方向)の調整を行うのである。しかし情報の海ができたことにより、誰もが時間、場所を問わずに情報を手に入れることができるようになった。縦方向によるコミュニケーションは必要なくなるため、調整役の「部」や「本部」のあり方が変わる。

 一番重要なのは、実行部隊それぞれが自律的、自発的にコミュニケーションが行われるような仕組みをつくること。そのためには、情報共有のためのしっかりとしたITインフラをつくるだけでは不十分だ。同時に『こうやるんだ』という明確なミッション、あるいはゴールの設定が不可欠になる。このように解釈する側のシステムを、きちんと整備することが重要になる。

これからの企業にとって必要なフレームマネジメントとは

 「人の頭の良さ」、「ミッションの設定」といったことは、茫漠としているかも知れない。あるいは「そんなことは自明だ。しかし、それがうまくいかないから難しいのだ」といった見方もあるだろう。これに対して提案しているのが、ダグラス・エンゲルバート氏の「フレームモデル」である。マウスの発明者としても有名なエンゲルバート氏は、1950年代から現在のようなインターネットのイメージをもって情報の扱い方を考えていたという。フレームモデルはその一つで、個人が行う決定メカニズムだけではなく、組織における決定メカニズムにも使えると思う。

 ここでフレームモデルについて説明する。私たちが行動をする際、その背景にはなんらかの決断(価値判断)がある。その価値判断の基準がフレームワークであり、フレームモデルは、それを抽象化した人間の頭の中の情報モデルだ。A、B、Cの3レベルのフレームがあり、フレームAは個人が日常行うアクション、つまりその人の価値観や規則を司る。個人の行動を意味づけるのが、フレームA、イコール個人フレームだ。

行動を意味づけるフレーム 参考

 しかし人は日常の行動をしながら、もっとうまくそれをできないかと考えている。あるいは、人の日常の行動はより上位のフレームに影響を受ける。例えば「疲れていたら休め」という個人フレームは、「出勤日は仕事をする」という上位のフレームの支配下にある。その上位のフレームに相当するのがBで、これは組織フレームと呼ぶことができる。同様に考えると、組織フレームは、それを支配する社会フレーム(フレームC)の影響下にある。ABCの各フレームは不変のものではなく、他のフレームの影響を受けて変化するし、変化させるべきである。例えば現在の日本は、Bフレームが昔のまま。これを変えなければならない。そのためには上位のフレームを理解しなければいけないのだ。

 ここでマーケット=市場を、フレームモデルに持ち込んでみよう。マーケットと正対するのはフレームAであり、その背後にフレームB、さらにその背後にフレームCがある。マーケットはすべての規範だが、これが今大きく変わっていて、フレームCに影響を与えている。しかしマーケットの変化は常に揺れ動いているので、フレームCのパラダイムが定まらない。だからフレームBをどう変えるべきかが分からない。

 そこで重要になるのが、マーケットと正対するフレームAだ。フレームAに情報装置を持ち込み、自律的に変化に対応しながら、行動を意味づける方がいい。したがって、これからの企業組織は従業員一人ひとりのフレーム(価値観)を会社のフレームに合致させ、さらにはその上位のフレーム、社会フレームまで考えていくことが重要だ。

 このことの真意は、これまでのように上位のフレームを上位に置かずに、まず個人の価値観や判断の基になるマーケットを最上部と考える。その情報に常に接している実行部隊(個人)のフレームAを上位にして、その次に組織のフレームB、社会のフレームCを置くという考え方が望ましいのではないかということだ。その点で、ソフタスが作った新しい組織図は参考になる。クライアントが最上位にあり、次に現場組織が来るというものだ。これに関しては、ソフタスの田口正則社長に意図を話していただきたいが、僕は大変感銘を受けた。

株式会社ソフタス 組織図
(ソフタス逆転の組織図: http://www.softas.co.jp/about/chart.htm

Q&Aセッション

 山田氏の講演を受けて、Q&Aセッションが開かれた。逆転の組織図を作った意図をソフタスの田口氏が説明したり、ガースナー時代のIBMを知る倉重氏などが活発な議論を展開した。

 まずソフタスの田口正則氏は「山田氏が語った内容を理解して作った図ではない。後方からミッションを与えるというイメージで感覚的につくったもの」と前置きした上で、理由について次のように語った。「運用部では、誰かがつくったシステムを運用している。しかしそのシステムは完璧なものではなく、不完全なもの。それを満足させる形で提供するのが運用部の仕事となる。通常、システム開発工程において運用は下流に位置づけられているが、当社においては下流である運用を上流に置かないと問題は解決しないと考え、組織図の上下を逆にした。2007年12月にこの組織図を発表したが、元々このような社内雰囲気もあり、従業員も違和感がないようだ」

「情報の海は本当にあるのか」活発な質疑応答

 アトリス代表取締役社長の安光正則氏は、山田氏の述べた「情報の海」とは逆の方向に日本の情報システムが向かっているのではないかとコメント。 「日本の企業で、『オンライン情報の海』は存在するのか。その元となるERPがちゃんと導入されているのをみたことがない。ERPとはトランザクションをすべて一つのデータベースで管理するというもの。しかし日本ではERPパッケージという言葉を使っているだけで、部門パッケージとして導入されているケースがほとんどで、その場しのぎの補強を加えているため、蛸壺的になっている。どの情報が正確で、鮮度が高いのか、怪しいのではないか」。

 続いて、BPIA会長でRHJインターナショナル・ジャパン代表取締役会長の倉重英樹氏が、IBMのパラダイムシフトに関して発言した。倉重氏は日本IBMに66年に入社、取締役副社長を務めた経験のある人物だ。「IBMがパラダイムシフトしたのは、ガースナー氏が入ってきたことだけが大きな要因ではない。様々な要因が重なったことが背景にある」と倉重氏はいう。第一にネットワークが発展し、そのスピードがコンピュータと同じになったこと。第二にプロダクトビジネス(作る側の価値観)からソリューション(課題解決)ビジネス(買う側の価値観へ世の中の価値観も変化したこと。第三に90年代に入り、コンピュータが合理化するツールから人間の頭脳を補完する道具へと変わったこと。第四にIBMが一般販管費36〜38%かかっていたときに、コンパックが一般販管費15%のモデルで市場に入ってきたことなどだ。

 倉重氏はこれらの要因を上げ「従来のマルチナショナルモデルからグローバルモデルにチェンジせざるを得なくなった」という。その当時までIBMはDEC同様、レイオフをしない会社として有名だったが、スキルの入れ替えをするため、レイオフと人の入れ替えを行った。それを実行するために、経営陣を入れ替える必要があったというわけだ。「結果、IBMは経済的に立ち直ったが、新たなコンピューティングビジョンを世の中に問うことはなくなった」と倉重氏はいう。

これからのIT企業のあり方についても、熱い議論を展開

 また続けて倉重氏は、ホワイトカラーの生産性を上げる組織のあり方として、プロジェクトチーム制で仕事をするマトリックス組織を提案。「組織は能力を溜めたり、育てたりするところにして、実際の仕事はプロジェクトチームで行うとよい。営業からシステム納入までの一連のバリューチェンを一つのプロジェクトチームで行うと、プロセスが部門間をわたる際に発生するネゴシエーションコストがなくなるため、生産性が上がる」。

 元ダイヤモンド社社長で現在、ワイエスマネジメント代表取締役の岩佐豊氏は「ソフタスの組織図を見て思ったことは、CS(顧客満足)、CSといわれていたときと同じような図で懐かしさを感じた。出版社の場合、編集者は誰も社長にはなりたがらないので」とコメント。

 日経BP社の田口潤氏は「山田氏が紹介したABCのフレームモデルは、これからの組織を考える上でヒントになる」という。「例えば日本の大手IT企業は、具体的なビジョンが見えないことが多い。一方、インド企業などを取材すると、明快な答えが返ってくる。このままでは、日本のIT産業は海外のグローバルカンパニーに凌駕されていく可能性がある。それを防ぐためにも、ビジョンを明確にし、いち早く日本の企業の強みを生かしたフレームワークを考えることは重要だろう」と続けた。

 三技協代表取締役社長の仙石通泰氏は「日本の企業は社員を大事にするし、見えるような仕組みもつくりつつある。最適なゴールは見えてくるはず。あと2年ぐらいたったら、世界が日本の経営モデルを見直すようになるのでは」と前向きな意見を述べた。それに対して倉重氏は「現在、日本のIT企業は儲かっていないので、しばらくは今やっていることを続けていくしかない。お金がないと企業の方向性は変えられない」と反論。安光氏も「日本でうまくいっているのは、従来型の企業の典型である自動車メーカーだけ。うまくいっているサービス業はない」と倉重氏の言葉に追随した。

 一方の仙石氏は「現場には知識がたくさん集約されている。変わる素地は絶対あるはず」と応戦。倉重氏も「日本のIT企業のいちばんの問題は、変わる技術にスキルが追いついていない構図から抜け出せないでいること。だけど何かまったく違う考え方の人が出てくる素地はあることには賛成」と協調した。

 IT企業がパラダイムシフトをするためには、様々な課題がある。「この研究会を定期的に開催していくことが、その解決を促していくはず」という共通認識が図られたところで、第2回新ビジネスモデル研究会は終了した。