会員コラム

中 国 の 史 書 に 学 ぶ

中村 博和氏

2010/02/26

私は、昨年12月に定年となり、第二のビジネス人生のスタートに向け、日々準 備を進めています。そして併せて、これまでの60年間の人生と、学んだことなどを振り返っています。

その一つが、20歳代から始めた中国の歴史書や古典で、今改めて学び直しています。今回、私のライフワーク「中国の歴史と人間学」(中国の史書に学ぶ)について、ご紹介させていただきます。

【中国の史書・古典との出会い】

それは、私が20歳代後半の頃、会社の顧問弁護士の一言から始まりました。ある日相談を終えた時、「ところで君は、支那の本を読んだことがあるかね。」と 聞かれました。「ありません。どうして支那の本ですか?」と先生に聞くと、「日本人と中国人は、民族として同じ血が流れている。学ぶことが多いよ」。私 は、「先生、読むなら何がいいですか。」と聞くと、先生は「読むなら、最初は『三国志』か『史記』か『十八史略』だな。」と、教えて下さいました。

私は、早速『三国志』を読みました。そして強烈な感銘を受けたのです。蜀を建国した劉備の仁徳の人柄、諸葛孔明の知略、関羽や張飛ほか部下の獅子奮迅の活 躍。ライバルの曹操や孫権。そして大河・峻山・大平原と、大陸あちこちでの戦や、心にしみる多くのエピソード。あっという間に読み終えました。その後『史 記』『十八史略』や『論語』『孫子』『菜根譚』等を次々と読み味わいました。

中国の史書や古典には、英雄・豪傑・暗君・佞臣や美女・毒婦が次々と登場します。そして広大な大陸の舞台で、様々な人間模様を折りなし、奥深い人間学を学ぶ機会となりました。

【心に残ることば、生き方】

(1).「大義と小義を混同すべからず」

これは三国志で、諸葛孔明が君主の劉備をいさめる言葉です。

劉備が、蜀を建国するため、荊州・益州を攻める時、「両国とも君主は、同じ漢室の劉家。もし自分が攻め亡ぼすと、同族相攻めぎ合う、とのそしりを受けてし まう。」と攻撃を躊躇しました。その時軍師の孔明が、「両国は政治乱れ人民は苦しんでいます。国民の安寧を目指す蜀の建国のためにも、両国を正すことは仁 義に反することではありません。」と進言。これに劉備が「よく分かった。自分は『大義と小義を混同』していた。…」と応えた言葉です。

また、十八史略の中にも、同様の「大行は細謹を顧みず、大礼は小譲を辞せず」の言葉があります。有名な「鴻 門の会」で、暗殺の危機にあった劉邦が脱出の際、「項羽殿に挨拶をしないと礼を失する」と主張。部下の樊噲は、「あなたを暗殺しようとしている項羽に、挨 拶どころではありません。」と、この言葉で、劉邦をたしなめ脱出させたのです。この一言がなければ、劉邦は暗殺され、その後「漢」による国家統一がなかっ たかも知れません。

論語にも、「遠き慮りなければ、必ず近き憂いあり」(衛霊公篇12)の言葉があります。私たちは日頃、ついつい目先のことに追われて、大きな志や本来の目的を見失うことがあります。時々思い出したい言葉です。

(2).孫子の兵法に学ぶ

孫子は兵法学の書、そしてご承知の通り、経営に通じる書でもあります。私は次の二つが、特に印象に残っています。

「勝って戦う」…戦って勝つのではなく、すでに勝っているものを自ら確認し、敵に確認させるため、戦を行うのである。今のビジネスでいえば、戦略・戦術の大切さ、計画~実行~チェックのP・D・C・Aサイクル、そしてこれらの基となる市場分析・ビジョン等の重要性でしょうか。

「巧遅は拙速に及ばず」…まさに読んで字の如くです。勿論、無謀ではなく、瞬時に適切な判断・行動できるよう、日頃の心構えや修行が大切と、孫子には書かれています。

(3).様々なリーダー像、そして補佐力

中国の史書には、三国志・蜀の劉備や、項羽を破り漢を建国した劉邦ほか、様々な君主・リーダーが登場します。また、論語や韓非子や貞観政要などの書にも、 多くのリーダー像が描かれています。他方、これらの優れたリーダーを補佐する人物が多彩なのも面白いです。参謀としては、劉備の軍師諸葛孔明や、ジンギス カンを補佐した耶律楚材などが印象に残ります。

しかし私は、論語を読んで、君子やリーダーのあるべき姿が、あまりにも多岐にわたり、少々ウンザリしたことがありました。そのとき出会いほっとしたのが、『菜根譚』の次の言葉です。

道を会得しようとするなら、まず厳しく姿勢を正す必要があるが、しかし一面では、物事にこだわらない洒脱な精神も必要である。ひたすらわが身を苦しめるだけのことなら、秋の冷たさはあっても、春の暖かさに欠けている。どうして万物をはぐくむことができようか。

(※ご参考、PDF 77KB「中国古典のリーダー像」。40歳頃にまとめたものです。)

【私の座右の銘】

その他にも、中国の史書や古典から学ぶことばや生き方はたくさんあります。そして、私の座右の銘は次の3つです。うち2つが中国古典からのことばです。

  • 『忠恕』・・・論語;まごころと思いやり
  • 『得意淡然、失意泰然』・・・明・崔後渠;「六然」より
  • PDF 49KB『青春』・・・サミュエル・ウルマンの詩;「青春とは人生のある期間をいうのでなく、心の様相をいうのだ・・・」原文は英語。(※今回のテーマ外ですいません。)

いろいろ述べてきましたが、なかなか実行は伴いません。「論語読みの論語知らず。」、また「学びて思わざれば、則ちくらく・・」で、後悔することも多々あります。でもだからこそ、続けるのが大切かなと思います。

私は今後もライフワークとして、中国の史書や古典を、学び楽しみたいと思っています。そしてこれからの人生も、「忠恕」を大切にし、いつまでも「青春」の心をもち、熱意・行動でチャレンジしてゆきたいと考えています。

<プロフィール>

中村 博和(なかむら ひろかず)

  • 略歴
    昭和47年 大学卒業後、フジタ工業株式会社(現、株式会社 フジタ)入社。人事・研修、秘書、総務、人材開発など管理部門を37年余経験。昨年12月定年により退職。
  • ビジネスの信条
    “「より良くしたい」志と、誠意・熱意そして行動でチャレンジ”
  • 趣味
    中国の歴史と人間学の勉強、音楽、日本画鑑賞、家庭菜園 など
我が家の畑で採れた白菜と大根です。本文中にもある『菜根譚』、その書名の由来は、「菜っ葉や根菜のような粗食を常にすれば、心身健康で百事なすべし。」だそうです。これからも、畑を耕し野菜づくりも楽しみます。